旭川地方裁判所 昭和30年(ワ)67号 判決 1956年8月10日
原告 高林義次
被告 株式会社小野鉄工所
主文
被告は原告に対し金十六万円を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は三分し、その一を原告のその二を被告の負担とする。
この判決は、原告が金五万円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金五十万を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は、昭和二十三年七月中旬頃被告との間に、原告の所有している二十五馬力堅型ヤンマーヂーゼル一基の故障を、被告が三月以内に修理を完了して原告に引渡し、その際工賃を支払う約定を結び、同物件を被告に交付した。しかるに被告は約旨の期限が経過しても修理をしないばかりか、昭和二十四年二月上旬、同年四月中旬、同年七月上旬の三回に亘り、原告から履行の催告をしたのに拘らず、なお修理を怠つたため、原告は同年七月中旬被告に対し、前記修理契約を解除する旨の意思表示をなして右物件の返還を求めたところ、被告はこれに応じないばかりか、右物件を善良な管理者の注意義務を以て保管すべき義務があるのに、その義務に違背し、昭和三十年二月八日以降は占有していない。従つて原告に対する返還義務は被告の責に帰すべき事由によつて同日履行不能となり、原告は右物件の価格に相当する損害を蒙つたことになる。よつて原告は被告に対し、右物件に代るべき損害賠償として、本件口頭弁論終結当時における右物件の時価金五十万円の支払を求めるため本訴請求に及んだ次第であると述べ、被告の抗弁事実を否認した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として、原告の主張事実は総て否認すると認すると述べ、抗弁として、仮りに原告主張の修理契約が成立し、被告の債務不履行によつて右契約が解除されたとしても、本件修理契約は商行為であるから、その解除による原告の物件返還請求権及びこれと同一性質を有する損害賠償請求権は、いずれも商事債権に該当し、商法第五百二十二条が適用される。従つて右両者とも契約解除の日から五年を経た昭和二十九年七月中旬の経過により消滅時効が完成したといわねばならない。してみれば被告の債務は既に消滅しているから、原告の本訴請求に応じられないと陳述した。<立証省略>
理由
先ず原被告間に原告主張の修理契約が成立したかどうかを按ずるに、証人鈴木定治、遠藤春美、小川総一郎、吉田定雄(認定に反する部分は信用しない)の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は元稚内市で鉄工場を経営中、自己所有の二十五馬力ヤンマーヂーゼル一基に修理を要する個所があつたので、昭和二十三年三月頃被告会社の製造部長訴外吉田定雄が商用の帰途原告方に立寄つた際右吉田に前記物件の故障個所を見せたところ、同人は被告会社で三ケ月位の期間があれば修理できる旨を話したこと。よつて原告は同年七月中旬頃、自己の船舶金栄丸に右物件を積み、船長訴外鈴木定治、機関民訴外遠藤春美等に命じ、これを新潟港に輸送陸揚させたが、同人等は陸揚後被告会社に電話で物件搬入についての指示を求めたところ、被告会社はトラツクを差向けたので、これに右物件を積み、遠藤春美がつきそつて被告会社第二工場に搬入した上更に同人は被告会社事務所で吉田定雄に面会し、原告の指示で修理品を運搬してきた旨を伝えて修理方申入れ、右物件を被告会社に引渡して帰つたこと。しかるに被告会社は右申入れに対し諾否の通知を発しないばかりか修理もなさずに放置しておいたこと。なお原告は本件の以前に数回被告会社に修理を依頼し取引関係があつたことが認められ、証人吉田由松の証言によれば、被告会社は機関類の製造及び修理業を営み、会社機構を業務、製造、総務の三部に分け、製造、修理等の受註は業務部で担当しているが、製造部に直接修理の申込がある場合もあつてその際は右製造部から業務部に連絡され同部の手を通じ受註書が発行される仕組になつていること及び当時吉田定雄は製造部の事務を担当していたことが認められる。他に右認定に反する証拠はない。
以上の事実によれば、被告会社の修理受註は業務部の所管であるとはいえ、製造部で受註することもあり、しかも吉田定雄は製造部長として、同部の事務を担当していたのであるから特段の事情がない限り同人は受註の権限を有していたものと認めねばならない。従つて原告は遠藤春美を通じ被告会社に本件物件の修理契約を申込んだものというべく、しかも被告会社は平常取引をなす者から、その営業の部類に属する契約の申込を受けたことに該当するところ、被告会社は、その申込に対し遅滞なく諾否の通知を発しなかつたのであるから、商法第五百九条により原告の申込を承諾したものとみなされ、原被告間に有効な修理契約が成立したといわざるを得ない。証人吉田由松の証言によれば被告会社の受註台帳には、本件物件を受註した旨の記載がなされていないこと、従つて正式の受註書が発行されなかつたことが認められるけれども、かような事柄は何ら本件修理契約が成立したことの認定を妨げるものではない。
次に契約解除並に履行不能の有無について考察するに、証人遠藤春美、小川総一郎、鈴木定治の各証言原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告が被告会社に前記修理を委託したのに、被告会社が修理をしなかつたこと及び原告は訴外鈴木定治、小川総一郎、遠藤春美等を被告会社に差向け昭和二十四年二月頃から同年七月頃までの間数回履行の催告をなしたが、それにも拘らず被告会社は履行をしなかつたことが認められ、証人吉田定雄の証言によれば、原告は昭和二十五年夏頃、当時被告会社取締役の地位にあつた前記吉田定雄に対し、本件修理契約解除の意思表示をなすと共に本件物件の返還を求めたこと。被告会社は原告の右返還要求に応じ本件物件を返還しようとしたが、その頃被告方工場は多忙を極めていたのと、右物件は相当の重量があつて、容易に輸送ができかねたこと等の理由により、昭和二十六年十一月頃まで原告に返還しなかつたこと。本件物件はその頃被告会社でスクラツプに使用したことが認められる。右認定を左右する証拠はない。そうすると、本件修理契約は被告会社に債務不履行があつたことから、昭和二十五年夏頃適法に解除され被告会社に右物件の返還債務が生じ、これを原告に返還するまで善良な管理者の注意義務を以て保管すべき義務あるところ前記のように滅失させたのであるから被告会社の返還債務は、その責に帰すべき事由によつて履行不能におちいつたものというべく、従つて、右履行不能により本件物件に代る損害賠償義務が発生したこと当然といわねばならない。
そこで被告の抗弁を按ずるに、原被告は共に鉄工所を経営していたこと冒頭認定のとおりであるから、本件修理契約は商行為であること、従つて契約解除による物件返還請求権及びその履行不能による損害賠償請求権も共に商事債権であるこというまでもない。しかし本来の債権が既に時効によつて消滅したときは、これと同一の権利で単にその内容を変更したのに過ぎない損害賠償請求権も共に消滅するが、本来の債権が時効によつて消滅する以前に、履行不能の事体が生じ損害賠償請求権が発生したときは、後者の時効は右履行不能のとき、換言すれば損害賠償請求権が発生したときから、新たに進行するというべきである。これを本件についてみれば、原告の物件返還請求権は契約解除の日である昭和二十五年夏頃から進行を開始し、その後五年の徒過により消滅時効が完成する筋合であるが右完成前の昭和二十六年十一月頃原告の物件返還請求権が履行不能となり、同時に損害賠償請求権が発生したのであるから、右損害賠償請求権の時効は発生の日である昭和二十六年十一月頃から新たに進行するのである。してみれば本件損害賠償請求権はまだ消滅時効の完成前であること明白であるから、被告の抗弁は理由がない。
進んで履行不能による原告の損害額を判断する。原告は右損害額として、本件口頭弁論終結当時における本件物件の時価相当額金五十万円を主張するけれども、本件物件が右の時価を有している証拠はない。のみならず履行不能による物の填補賠償額は、履行不能となつた当時における物の交換価値によつて定めるべきであり、その物の価格が履行不能後騰貴したときは、履行不能がなかつたら債権者が転売その他の方法によつて騰貴した価格に相当する利益を確実に取得したであらうという特別の事情が存在し、且つ債務者において、右事情を履行不能当時予見し又は予見し得べき場合に限つて、これに相当する損害の賠償を請求し得るというべきところ、本件においては右特別事情の主張立証がないから、履行不能当時の本件物件の時価相当額を損害として請求し得るに過ぎない。ところで原告本人尋問の結果によれば、本件物件は新品を三年位使用し、内機及び外機の一部が損耗していたのを、原告が昭和二十三年春頃金十六万円で買受けたが、右買受価格は当時の相場からみて格安であつたこと及び買受後ガバナー、ブラツグとガバナー下部のパイプ数個が紛失したので、原告は買受後一度も使用せずに右故障の修理を被告会社に委託したことが認められ、鑑定人更谷真清の鑑定の結果によれば、原告が買受けた価格は妥当であつたこと及び前記部分品の欠損は総体の価格に影響がなかつたことを認めるに十分である。してみれば本件物件は昭和二十三年当時金十六万円の価格を有していたといわねばならない。そこで本件物件の価格が買受後履行不能となつた昭和二十六年十一月までの間に騰貴したか否かを考えるに、証人吉田定雄の証言によると、本件物件を新品と仮定すれば現在三十五万円乃至四十万円の価格を有していることが認められ、鑑定人更谷真清の鑑定の結果によれば現在は新型機関が市場に出廻つているため昭和二十三年当時の価格より低下していることが認められる。しかし本件物件は新品でないし、現在新型機関が出廻つているから低下しているとしても、履行不能当時も同一事情にあつたとは認められない。惟うに原告が本件物件を買受けた昭和二十三年から履行不能となつた昭和二十六年十一月までの間一般物価が騰貴したことは公知の事実であるが、個々の商品の価格が必ずしも同一歩調で騰貴したのでないことも公知の事実である。従つて他に反証のない本件においては、履行不能当時も買受当時の価格金十六万円を維持していたと認めざるを得ない。
してみれば、原告は被告に対し本件物件に代る損害賠償として金十六万円の請求権があり、被告はその支払義務あること明白である。
よつて原告の本訴請求は被告に対し右金十六万円の支払を求める限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 熊谷直之助 星宮克己 太田実)